中村鶴松が二月『猿若祭』で舞鶴襲名 勘九郎「励みになる」七之助「上にいる父も喜んでいる」

歌舞伎俳優の中村勘九郎さん、中村七之助さん、中村鶴松さんが13日、都内で行われた『猿若祭二月大歌舞伎』の取材会に出席しました。同公演は2月に東京・中央区の歌舞伎座で上演されます。

中村屋ゆかりの『猿若祭』が3年連続7度目の開催

『猿若祭』は、初代猿若(中村)勘三郎が、約400年前に江戸で初めて歌舞伎興行を創始したことを記念して1976年から始まった公演。本興行は、3年連続・7度目の開催となります。今回は昼の部で『お江戸みやげ』『鳶奴(とんびやっこ)』『弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)』『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』、夜の部で『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』『雨乞狐(あまごいぎつね)』『梅ごよみ』を上演します。

勘九郎さんは、3年連続の猿若祭上演に「吉例になりつつある。将来も吉例で猿若祭が続けられるよう、これからもどんどん努力しなければ」と語りました。また七之助さんも「昼夜とともに素晴らしい演目ですし、私自身も初役(はつやく)が三つもありまして、一生懸命、一か月間勤めたいなと思っております」と意気込みました。

20年名乗った鶴松を卒業し初代・舞鶴へ

今回の猿若祭の『雨乞狐』で、鶴松さんは初代中村舞鶴(まいづる)を襲名し、幹部に昇進。勘九郎さんは「そうそうたるメンバーの中でご披露ができるというのも、彼にとってもとても励みになると思います」と期待しました。

鶴松さんは「二月『猿若祭二月大歌舞伎』において、20年間名乗ってまいりました“中村鶴松”という名を改め、”初代・中村舞鶴”として、新たなスタートを切らせていただきます」とあいさつ。

「初代・中村舞鶴というこの素敵なお名前は、勘九郎、七之助の兄が心を込めて考えてくださった、本当にとっても素敵で綺麗で美しい名前でございます」と喜び、「新たなお名前をいただいてスタートできますこと、本当にこの上ない喜びでございます。新しい素敵なお名前を一人でも多くの方に覚えていただけるよう、これから精進してまいりますので、どうぞ応援のほどよろしくお願いいたします」と決意を語りました。

舞鶴の由来は故・勘三郎さんの俳名・舞鶴(ぶかく)

勘九郎さんは、鶴松さんの名前を「舞鶴」にした理由について聞かれると、「父・勘三郎の俳名が『舞鶴(ぶかく)』で。父も鶴松のことを本当に大切にしていましたし、3人目の倅(せがれ)ということも含めて、この俳名をけたらどうかなと思いました」と説明。「でも」、と鶴松さんの方を指さすと、「どう見ても『舞鶴(ぶかく)』(という顔)じゃないでしょう? 舞鶴(ぶかく)っぽくない」と笑いを誘い、「考えた末に、これを『舞鶴(まいづる)』と呼ぼうと決めました」と明かしました。

七之助さんも、「鶴松はみんなに『ツルツル』や『ツルちゃん』とすごく親しみを込めて呼ばれているので、『舞鶴(まいづる)』にしたことによって鶴(つる)という字は残っているので、呼び方も変わらない」と納得。「だから、”呼ぶ方”も困らないんです。襲名されると、おめでたいことなんですけれど、呼び方に困るんです。つい先日まで、すごい大先輩が名乗っていた名前を後輩が名乗るとですね、『呼び捨てにはできないな』とか、いつも困る(笑)。”歌舞伎あるある”なんですけど、今回はもうずっと鶴(つる)のままで愛称は変わらずです」と笑顔を見せました。

鶴松さんは、「勘三郎の父につけていただいた名前で20年間名乗ってきて、それを変えるというのは、ちょっと正直、自分の頭にはなかった。変えたくないという思いの方が強かったんです」と葛藤も告白。「でも、タイミング的にも今がチャンスなのかなと。勘九郎の兄がすぐに考えてくださいましたので、本当にそこは感謝でしかないです」と感慨深く語りました。

七之助さんは鶴松さんについて「ちっちゃい時から戦友というか、いろんなことも話し合ったりして歩んできた仲間」と語り、「上にいる父(=18代目中村勘三郎さん)も喜んでいると思う」としみじみ。鶴松さんも、「今でも天国から手助けをしてくれているんだろうなという感覚です」と感謝しました。

この記事を書いた人
コティマム

パラコネニュース編集長。元テレビ朝日芸能記者。現在も『ENCOUNT』や小学館『DIME WELLBEING』『Yahoo!ニュースエキスパート』など有名媒体で歌舞伎や舞台、芸能イベント、企業・経営者を取材中。芸能人や著名人などインタビュー経験多数。執筆記事1.2万本以上。取材は5300回以上。パラコネニュースでは“バズり”を知っているインフルエンサーやライターが、“次にバズる”最新情報をお届けします♪

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